昭和44年04月09日 朝の御理解
御理解 第84節
「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」
踏み広げて通ると簡単な言葉ですけれども、この「踏み広げて通る」と言う所が、大変だと思いますね。踏み広げて通る、繁盛じゃと。只長く続いておれば繁盛になると言うのではなくて、踏み広げて通ると言う所に繁盛の道と言うかね、おかげが頂かれるのです。お道ではこの苦労と云う事を修行とこう申します。苦労が大きければ大きいだけ、おかげが大きいと言われております、その踏み広げて通ると云う事は、その苦労の道と言うか修行の道なのですから、是は大変な事です。踏み広げて通る。
お互いがこの踏み広げて通ると言う所を、まあ特に大事だと。その踏み広げると云う事は、私はどう言う様な中にあっても、踏み広げて通るのでなからなきゃ駄目だと。其処ん所を道に草を生やす様な事をすなとこう言う。是は思いも掛けない例えば、苦労と言うかね修行と言う、その修行が降って湧いた様に、例えば起来ておる様な場合でも、そこをやっぱり通らなければ出来ません。
そこを避けて通る訳にはいかんのです。そこをやっぱり通らなければならん。それが言わば繁盛の道と言うのは、本当のおかげの道と云う事でしょうね。今日はここんところを、唯、細い道でも次第に踏み広げて通ると言う。踏み広げて通ると言う所は、只辛抱し続けると言う様な意味で頂いてましたけれども、ここんところ大変な事だと思うです。そこんところを矢張り、通らなければ繁盛の道に繋がらない。しかもそこは、踏み広げて行かなければならない。
と言うのは、今までよりももっと素晴らしい生き方と言うか、踏み広げて通らなければならない。何かがあったたんびんに、そこからこう、むしろ踏み広げた道が開ける。そこから却って道がこもうなると言う様な事があったり、その道に草を生やす様な事になったりしたのでは、もうそこで繁盛が止まってしまうである。ここんところをひとつ、本気で、私どもが腹を決めて通っておらんと、そこが踏み広げられません。
そこんところの踏み広げる信心。そこから道が止まったり、草を生やす様な事に成ったりする様な所を、ひとつ踏み広げなければいけません。どうしてもそういうほんとのおかげの道と。そのおかげの道に出ると言うか、踏み広げた道と言うかね。そこに繁盛いわゆる、おかげに到達すると言うか。ほんとのおかげを頂く為には、ここんところを大事にしなければならん。
踏み広げると言う時には、私はここんところを頂いておりましたら、この硯箱を頂くんですね。是は私は、結局苦労をすると云う事ですからね、苦労をする、墨を擦ると云う事は。その黒うする墨が、この長く擦れば長く擦るだけ擦り溜めると言うか、黒くなると言うか、ね。それを苦労とせずに、それを沢山の字を書けると言うか大きな字を書く為には、どうしてもこれが擦り溜められとかなければ出来ん。
ですからそこんところを、例えば有難くとか、そこんところを大事に、とこう言うのですけれども、実はそこんところがですね、踏み広げると云う事になって参りませんと、続いておりませんと繁盛の道には出られない。そこんところで、例えば、お互いの信心が道に草を生やす様な事、になったんでは、繁盛に到達する事は出来ん。今日私は、特にその、踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やす様な事をすなと仰せられる所をひとつ頂き、勿論今日は一番始めにおごりがましい事をすなと。
おごりがましい事をする事によってですね、今最後の所とは反対のおごりがましい事によって道に草を生やしたり、又は道を塞いだりする様な事になってはならん、と言う様に頂きますけれども。そこん所の、それとは反対の意味。おごりがましい所か本当に、苦労に苦労修行に修行さして頂いておる様な場合であってもその修行がです、踏み広げて行くものでなからにゃいかん。
その修行と言うのはです、例えば「矢でも鉄砲でも持って来い」と言うものでなからにゃいかん。そこに、その踏み広げると言う、このおかげに繋がる為には、道に草を生やさない為には、ここん所が大事。ですからここの84節は、おごりがましい事によって、道に草を生やす様な事になったり。又は道を愈々細いものにしたり、道を潰したりする様な結果になる、と云う事と同時に、それとは反対に、お互いの信心修行が、愈々佳境に入って来ると申しましょうか。
言うなら、少しは修行の味わいも分かって来たと言う様な時にです、私は踏み広げて通る。そこん所をまあ私は節を大事にせよとこう。いやその大事にする所が、もっとそこん所勢いをもって、節を乗り切らせて頂けとこう。そこに踏み広げる力っていうのが頂ける。節を大事にしなければならん。節を大事にしていく人は伸びるとこう言われております。そこから伸びると云う事は、広げると云う事。踏み広げると云う事。
繁盛と云う事そこには草を生やす所か、踏み広げた道が益々明るい大きな道になって来る様なおかげをですね頂かせて頂く為の。私はここん所をそんなに思っていなかった。唯おごりがましいことをすなという所だけに、この御教えの焦点を置いとったですけれども、今日はね、私しだいに踏み広げて通ると言う所、でなからなければ繁盛ではない、と言うておられる所。踏み広げると云う事が難しい事を痛感しております。
踏み広げるそこは矢張りどの様に難儀、苦労を感じてもです、又はそういう事が起こってもです、そこを踏み広げると云う事。そこん所が節を大切にすると云う事じゃないかと言う風に思うんです。どうしても神様のねおかげを下さろうとするそのおかげに、入って行く道にはです、ここを通らなければです。信心しておってどうしてそんな事が、このような事がと言う様な所をです、元気で踏み広げて行かなければです。
その神様の下さろうとする道に入られん程に私共が、めぐりを持っておると言うてもいいでしょう。ずぅっと順調におかげを頂けて行くと言う様な人は、もう先ず本当にないです。本当のおかげを頂いたと言う人は、もう人にも言われん様な、本当に信心しよってどうしてと言った様な、そこを矢張り辛抱しぬいて踏み広げて行った人です。どんな素晴らしいおかげを頂いた人でも、そのおかげを受けたと言う人の体験談を聞かして貰うならば、ああいう中をこういう中も。
ようもこう言う様な道を開かせて頂いた、というその話の中にはです、本当に神を杖についておらなければ通り抜けられない所がある。そこにけれども後から考えて見ると、あの時に踏み広げておったんだなと。あの時におかげの受け物がいよいよ大きな物になっておったんだな、と云う事を気付かして頂くのです。ですから、そこの所を大事に、道に草を生やさん様な信心をさして頂きたいと思うですね。
どうぞ。